ShortStory

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StillForYourLove

 東西に延びる回廊の、中程を右に折れる。
 目の前の下り階段を1階分降りてまた右へ。
 更に進んで、突き当りを左。再び階段を降りて左――――

 ……この、ミレトスの城に滞在して4日半。気付いたらいつもここに来ている。 何やら賑やかに人々の行き交う広く明るい中庭、そこをぐるりと取り囲んだ回廊、その東側。 南へ向かって左側に、等間隔に扉が並ぶ。
 いつも通り、何気無く中庭を眺める振りをして、手摺に肘をつき軽く身体を預ける。 中庭或いは回廊を行く人々の中には自分に気がつき声を掛けたり、話し込んで行く者達もいた。 少し前には妹が通った。友人達と連れ立って街へ出掛けて戻ったところらしい。 偵察が目的だった様なのだが、あの様子では買い物とどちらが主なのか。 与えられた仕事はきちんとこなす性質だから大丈夫だとは思うが――――。 思いながら、苦笑した。
 そうしながらも常に、背後を気にする事を忘れない。
 この背後、ここから先。…………4つ目の扉。
 そこには、


『私には妻も子もいない。そう決めたのだ』
 ……その言葉が


 ――ねぇ、お兄ちゃん。
 いつも元気な妹が、静かに切り出した。
 ――あたし、あのひとの事、良く解らない。
 昨日の午後、やはり城の中庭。但しここから少し離れた外れで。
 珍しく独りでいた彼女が気になって、声を掛けた。
 今日と同じに好く晴れた空と穏やかにそよぐ風。ただ、この近くには誰もおらず静かだった。 城の何処かで起こっている喧騒がひどく遠く聞こえた。 それすらも煩わしく感じられ、振り払うかの様に訊ねた。
 ――……父上の事、かな。それは。
 妹が頷くのを確認する必要の無い程、解り切っている質問。
 ここに着く少し前に、あのひとと何か話をしたらしい事は聞いた。 何を話したのか、何を聞いたのか言われたのかは知らないけれど。 少なくとも、彼女が理解し納得するような話では無かった事は、 この様子を見れば想像できる。
 ――あのね。
 ぽつりと。
 ――『関係無い』んだって。あたし達には。
 おそらくは、母の事。自分達、特に母を置いて突然にいなくなった父の事をずっと、 許せないと言っていた。(自分よりもはるかに)母を思っていた彼女事だ。 気持ちは充分過ぎる程、解る。解っている、つもりだ。
 ――お父様がいなくなった時、あたしはまだ小さかった。 だから、覚えていない所為もあるかも知れないけど、 …………お父様って、あんな人だったのかな。
 そう言った妹の瞳に浮かぶのは、怒りと懐かしさと、――淋しさ。
 ――ねぇ、お兄ちゃん。
 訊ねる風な口調でも無いけれど、それでもそれは。
 ――あの人は本当に
 ――本当だよ
 続く言葉を遮った。言いたい事は解っているから。疑う気持ちも、……解って、いるから。
 一呼吸、おいて言った。
 ――あの人は、本当に僕達の父親、だよ。
 そう言ってからふと。……そうで無い事を無意識に願っていた自分に改めて気が付いた。 自分に言い聞かせる様に言っていた事にも。
 ……そう、あのひとは、……父親なのだ、自分の。だから、この想いは誤りなのだと。
 横でフィーが何かを呟いた、が。それすらも遠くに感じた。


 右の方から、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。続いて、やはり聞き覚えのある声も。
「セティ? 丁度良かったかな」
「……セリス様」
 振り向いて、笑顔で応えた。それはきっと、上辺だけの。 感情を、悟られない様にする為だけの、表情。気付かれる事は無いと思っているけれど。
 彼の前で素直には笑えない。理由はあまりにも単純で、 しかし自分にしてみればかなり深刻な事。
 自分の知らない父を知っているのだ、彼は。 家族の許から姿を消した父は彼の許へと度々現われまたは逗留し、その成長を助けたと聞いた。 それが、かなり引っ掛かっている様で。
「何か?」
「うん。これからの進軍について、レヴィンと相談しようと思っていたんだけど」
 どきり、と一瞬胸の内が跳ね上がった。今の動揺が、彼に気付かれなかったろうか。
「君の意見もできれば聞きたいな、と思ったのだけれど」
「……私よりも、 オイフェ様やシャナン様にお尋ねになられた方が適切な意見を出されると思いますが……」
 これは本心からの言葉ではあるが、断りたい理由の総てでは無い。 否、これだけでは断る理由にはならないであろう事は承知している。 が、今のこの状態、この感情を抱えたまま、 父の前に姿を見せる……父の姿を見る事はできるだけ避けたかった。
「オイフェやシャナンは後から来るよ。それに、私は君にも何か意見を出してもらいたい。 だって君は、マンスターを守り抜いたんだから」
 それは、住民達皆の協力があったのだからこそ。そう答えても。
「けれど、その人達を纏めたり、策を練ったり指示を与えたり。 直接でも間接でも、それらを行ったのは、君だろう?」
「それは……そうですが」
「だったら、問題は無いと思うよ。違う?」
 それに答える事はできなかった。本当の問題はそこでは無いのだから。 しかし、それを彼に言う訳には当然いかない。
 仕方無しに(おそらく)苦笑混じりに承諾すると、彼は満足した様に笑って、 ここで止めた歩みを再び進める。――あの扉の前へと。
 そうして扉の前で立ち止まると、未だ躊躇したままの僕の方を向いた。 その表情はいかにも僕を待っているかの様で。
 幾らかの葛藤の後に、意を決して彼の許へと向かう。 それにつれて、動機が激しくなっていく気がする。――いや、気の所為では無い。 全身が緊張して、いく。その事を気付かれない様に、上手く抑えられては……いるだろうか?


「――レヴィン?」
 数回のノックと呼掛けを繰り返しても返事は無い。そっと、扉を開いてもう1度呼ぶ。 が、返事は聞こえない。留守、であれば良いと。
 だが、父の姿は室内にあった。
 窓際に設えられた書机、その椅子に腰掛けて――眠っていた。 窓から流れ来る風を纏い、普段の厳しさとは無縁の安らかさで。
「眠ってる様だね」
「ええ」
 その穏やかな風景につい――見惚れていた。
 後でまた改めて来よう、そう言って出て行く気配にも気付かぬ程。


 1人になってもまだ、そこから離れる事はできずに、かえって。
 1歩、また1歩と父の許へと近付いて行く。起きる気配はまだ、無い。 徐々に速くなっていくこの鼓動が聞こえないだろうか。聞こえて目覚めはしないだろうか。


『私には妻も子もいない』


 その言葉が、真実のものであれば良かったのに。
 そう、何度も願った。いつの頃からか。
 憧れていた。昔から。憧れて――焦がれて。

 もしもこのひとが父親で無かったならば、もう少しだけでも楽になれただろうか。


 改めて父の顔を間近で見る。
 やはり、自分と何処か似ている気がする。いや、逆か。自分が父に似ているのだ。 皆には母似と言われてはいるが、父にだって似ていない訳では無い。 例えば、この僅かに癖のある髪は父譲りのもの。 それだけでなく、成長するにつれて、だんだんと父に似てきている様だ。
 血の繋がりがある事は、彼の風の魔道書が扱える事からも、疑う事も無く、明白。
 それでも、――――


 気が付くと、彼の頬に指が触れていた。
 そうして軽く――微かに触れる程度に唇を重ねる。続けて、もう少し、強く。
 ほぼ無意識の自分の行動に、次の瞬間ひどく驚いた。 反対に、極自然な行為だと思っている自分も、確かにいた。
 これが、僕が彼に抱いている感情。それに相応しい行為であると。
 そして――3度目。
 唇を重ねた瞬間、微かに彼の身体が身動いだ気がして、慌てて唇を、身体を離した。 半瞬後、その瞼が数回震えて…ゆっくりと開いた。
 自分と同じ、少し暗い緑陽の瞳。それに映される自分の姿が妙に気になった。
「――――――セティ?」


 その、言葉に、縛られた様に。その場に立ち尽くした。
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