ShortStory

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repeat-A/M

 踵を三回、床で打ち鳴らす。
 いつの間にかついた習慣は、無意識のうちに繰り返される。
 三回鳴らして、止まる。暫くしてまた三回、鳴らす。
 ふ、っと気づいて、苦笑を漏らして止めた。
「変な癖がついちゃった、かな」
 たんたん、たん。
 初めは気にしなかったその音も、幾度と無く繰り返されると次第に耳に障る様になる。
 卓上のカップに冷茶を注ぎながら、その音の出所を探る、までもなく。
 たんたん、たん。
 妙に良い音律を刻む音は、彼の足元から聞こえて来た。足音の主は、 自らの鳴らす音などまるで介さぬ様に手許の本に視線を落としたままである。 先程からページが進められる事も無く、右足と、 時折何事かを呟く唇以外に身体が動かされる気配すら、無い。
 たんたん、たん。
「……マルス様?」
 声に、顔を挙げた彼の主君は、その呼び掛けを冷茶の入った事へのものだと受けたらしく、 ありがとう、と杯を寄せた。
 たんたん、たん。
「…………あれ?」
 杯に口をつける直前、突然に挙げられた声に、アベルはぎくりとした。
「な…何か、」
 杯に入ってしまったのだろうか。
「あ、違うんだ。そうじゃなくって、また、」
 慌てて、勘違いを訂す様に言葉を続けた。
「……また、やっていなかった?」
「え、」
「これ」
 とん、たん、たん。
 先程までとは音も韻もまるで違ったが、この場合のそれは関係無い。はい、と頷くと、
「最近、気がついたらやってるんだ。何故だろうね」
上目遣いにこちらを見上げて冷茶を一口、含む。 その仕種は一五歳という年齢にしては可愛過ぎるもので、不敬とは思いながらも、 口許に軽い笑みを浮かばせる。
「……何、」
「いえ……失礼致しました」
「コドモ扱い、していたでしょう、今」
 上目遣いの瞳がきつくなる。ぱたん、とわざと音を立てて本を閉じる仕種に、 ふてくされる様に僅かに膨らむ頬。
「そんな事はありませんよ」
「良いけどねー。そういう事したりさせてくれるのって、アベルだけだからさ。昔から」
 拗ねる様に視線を逸らす。そういった所作を素直に曝すのは、 自分の前だけだと知っていた。だから、何も言わない。二人きりしかいない時には。 傍から見ればそれはただの甘やかしでしかないのだが。何せ、彼は今は亡き、 とはいえ一国の王太子。王の亡き後、その位を継ぐのは彼しかいない。しかも、 国を敵の手より奪い返すという役も有るのだ。普段、彼はその役を果たそうと良くやっている。 このタリスに逃れてからは、特に。だが、だからこそ気を緩めることも大事だと、 そう思っている。
「アベル。お願いがあるんだけど」
「何でしょう」
「お茶、お代わり。それと、」
 差し出されたカップを受取る。手際良くポットの葉を変え、水差しに手を伸ばした時、 彼の君の指がすい、と動いた。
「座って。上向いて話しているから、首が疲れた」
 二人の手の動きがぴたりと止まる。止めた理由はだいぶ異なるが。
 王子の指先の示す先は、テーブルを挟んだ向かい。 二人用のテーブルセットを現在使用しているのは彼一人。当然、 指し示された椅子は誰もかけてはいず、空席のまま。だが、問題はそこではなく。
「……それは、」
「主君である僕を見下ろすのって、不敬だと思わない?  あ、良かったら君の分のお茶も淹れてね。僕が淹れても良いけど」
「とんでもない!」
 この場合も『見下ろす』と言うのだろうか。といった疑問も脇に退けた。 主君と同じ場所に座り、剰え彼手ずから淹れた茶を飲むなど。
「私はこのままで構いませんが」
「僕が構う」
 互いに一歩も譲ろうとしない。が、少しの沈黙の後、溜息と同時に王子が言った。
「じゃ、お願い撤回。命令」
「解りました」
 主の言葉に素直に応じると、空いている席に腰を下ろす。 ティーセットの乗ったワゴンを自らの横に持って来るのを忘れずに。それを見て、 少し不服そうな顔をマルスはした。これも、彼らなりのコミュニケーションのひとつなのだ、が。
 新しく入った冷茶で口腔を湿らすと、徐に話し始めた。
「いつも、アリティアの事考えていたんだ」
「いつも?」
「足、鳴らしてるとき、いつも。考え事でぼんやりしている時に勝手に動いているんだ。 そんな時考えているのは、アリティアの事。今どうなっているのか、どうすればいいのか。 いつどうやって帰ろうかとか」
「帰る……ですか?」
「いつかは帰るんだろう? それとも君は一生、ここに隠れて住むつもり?  そうしたいんだったら、止めないけど」
「私はマルス様に付いていきます、一生」
 何度も言われ続けた言葉を、受け流した。それは決してその言葉を軽んじている訳ではなく。
「そういう意味で、一生、って、 あんまり言うものじゃないと思うな、僕は。気持ちは有難いんだけどさ」
 自分にまだそれを受け留めるだけの器量が無いと、思っているから。決して謙遜でも無く、 かといって卑屈になっている訳でも無い。その気持ちに応えられる様努力はしているつもり、 だけど。
 話題と気持ちを切り替える様に持っていた本を卓上に立て置く。上製の表紙を持つそれは、 重い音を立てた。
「だからね、帰ろうとか考えていると、足が勝手に動いているんだ。 別にたいした事は無いんだけどね。この間、じいに注意されたくらいで。ただ不思議だなって」
 続けてしゃべると、冷茶を口に含んだ。彼の唇が杯から離れるのを計っていた様に、 アベルは自らの考えを口にした。
「それはきっと、無事に帰り着けるおまじない、ですよ」
「え?」
 微笑みと一緒に向けられた言葉に、一瞬、マルスはきょとん、とし、次の瞬間、 笑い出していた。
「いいね、それ。うん、」
 余程に気に入ったらしく、まだ笑いが止まらない。おまじないか、成る程ね、 といった言葉が幾度か繰り返される。
 カインならばともかく、君の口からそういう言葉を聞くとは思わなかったよ、と、 相棒が耳にしたら複雑な心境と表情をするであろう科白も。
 アベル本人にしてみれば、軽い思い付きで言った事なので、ここまで受けるとは思っておらず、 密かに眉を寄せた。
 暫く後、漸く笑いのおさまった王子は、ぽつりと言った。
「帰れるかな」
 彼の従者は、笑顔と共に言った。
「帰るんでしょう? 必ず」
 聞き慣れた、落ち着いた声に、頷いた。
「うん、そうだね。絶対帰るんだ」
 豊かな緑と、水の大地。遥かな祖国へと。
 それは、ある夏の日の事。
 実際に彼らが挙兵し、アリティアに向かう、まだ1年以上前の事。
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